添乗員のバイトをやってみたら。 [エッセー]
家の事情で大学には行けず、それでも高卒じゃなんとなく嫌だなあというので専門学校に
1年通った。何の専門かというと観光を仕事にしたい人たちのための学校。
要するに旅行添乗員とかキャビンアテンダント(当時はスチュワーデス)になりたいという人の
学校。1年ぐらいでなかなか希望の職種に就くことができるものか眉唾であったが、募集パンフ
には就職率100%などと謳われていた。
場所は、札幌。何故、東京じゃなく札幌なのか。
東京はなんとなく遠いし、人口が多すぎる。それに別に憧れてもいなかった。
父親が北海道に出稼ぎに行っていたというのも理由のひとつだった。
その専門学校の観光科というところで学び始めたのだが、夏休み期間を利用して課題が
与えられた。それが、添乗員のアルバイト。観光科全員に与えられる課題。
要は札幌にある旅行会社と提携して、北海道を訪れる観光客の添乗をするもの。
コースは2つ。稚内や利尻・礼文を回る道北コースと知床・根室を回る道東コース。
どちらも8泊9日のバス旅。旅行会社の社員は同乗しない。
バスなので運転手とバスガイドだけが、8泊9日一緒ということになる。
高校を出たばかりで、半年にも満たない者に50人ほどの旅行者を任せるとは課題とは言え
乱暴な話である。まあ、有名観光地をタダで回った上にバイト代まで貰えるというおいしい
話ではあるのだが・・・。観光客は大学生を中心とした20代が多い。それもそのはず、
リーズナブルな旅をするために旅行手段はバス。宿はユースホステルを利用といったもの。
自分は、道東コースにした。こちらの方が有名観光地が多いような気がしたからだ。
なかなか行けないのだから、たくさん見ておこうという気持ちだった。
しかし、自分は観光客ではない。その人たちの旅をスムーズに、かつ楽しませるのが仕事。
期待と不安を胸に、顔合わせ。旅行会社の人も来ていたが、レクチャーも何もなし。
楽しんでらっしゃいみたいな気楽な雰囲気で送り出してくれた。
一日目、早速大きな失敗をやらかした。それは、昼食の時間。
バスは予定通り昼食場所に到着。全員の人数確認し無事昼食を終わり、さて出発となった。
バスに乗り込むとバスガイドがいきなり「私たち、まだ食べてないんだけど・・・。」
「????」何の事。つまり、観光客の事ばかり考えていて、乗務員のことをすっかり
忘れていた。もう時間がない。平謝りでそこを出発。
しかし、初日からこれで機嫌を損ねてしまった。あと一週間も一緒なんだぞ・・どうすべえ。
謝ったものの腹も立ってきた。子供じゃないんだから、自分たちで何とかせえよ。
聞いてないよ~の世界。こういう旅行の場合、乗務員のことまで考えなければならない。
次の日からバスガイドがチクチク攻撃してきた。
ひとしきり案内した後、「じゃ、ここからは添乗員さんにマイクを渡しましょう」と
こちらに振ってきた。無芸大食。何をすればいいんだ。
当時はカラオケもないし、アカペラで歌うしかない。バスにあったみんなの歌集みたいな
小冊子を全員に配り、目的地まで必死に歌い続けた。
2日目、この日も問題が一つ発生。女性客が前の日の宿に忘れ物をしたというのだ。
それも次の目的地が近づいてきたときに気が付いたという。戻ることはできない。
さあ、どうする添乗員。携帯電話もない時代。公衆電話を使い、前日の宿に連絡をしたところ
確かに荷物はあるという。取りに行くことも、持ってきてもらうことも距離がありすぎて無理。
苦肉の策で2日後到着予定の宿に発送してくれるようにお願いした。それしかない。
女性客にもそれで納得させ一件落着。我ながら見事な機転。
その後も大きな事件事故はなかったものの、細々とした事が発生。
同じバスでの旅のため、隣が同じ人だと飽きるといったことや
知床では漁船を使って釣りを楽しませたのだが、全員同じ船に乗れず二手に分かれて
乗ることになった。自分が乗っている方は時間通りに帰ってきたが、もう一つの船が
帰ってこない。連絡を取って30分遅れで帰港。
これを見ていた男性客。「俺もあっちの船が良かった。」ガキか!
消灯後、次の日のバスの席順を決めるくじを作ったり、全員の安否、次の日の昼食場所や宿の
確認等々。気楽なバイト旅のつもりが大変な日々だった。
旅行はさせるより、する方が楽だなあと実感。何事も経験してみなければわからない。
何と言っても50人殆どが自分より年上。年下は、東京から来た女子高生二人だけ。
自分、当時18歳ですからねえ。よくやったもんですよ。今更ながら感心する。
それにしても、あの女子高生、二人とも可愛かったなあ。
当時流行っていた「プロポーズ大作戦」に呼ばれたらどうしようかなあ等と妄想したりして。
その二人とは2回ほど手紙のやり取りはしました。あとは何もなかったけど・・・。
これが、40数年前の夏の思い出。
1年通った。何の専門かというと観光を仕事にしたい人たちのための学校。
要するに旅行添乗員とかキャビンアテンダント(当時はスチュワーデス)になりたいという人の
学校。1年ぐらいでなかなか希望の職種に就くことができるものか眉唾であったが、募集パンフ
には就職率100%などと謳われていた。
場所は、札幌。何故、東京じゃなく札幌なのか。
東京はなんとなく遠いし、人口が多すぎる。それに別に憧れてもいなかった。
父親が北海道に出稼ぎに行っていたというのも理由のひとつだった。
その専門学校の観光科というところで学び始めたのだが、夏休み期間を利用して課題が
与えられた。それが、添乗員のアルバイト。観光科全員に与えられる課題。
要は札幌にある旅行会社と提携して、北海道を訪れる観光客の添乗をするもの。
コースは2つ。稚内や利尻・礼文を回る道北コースと知床・根室を回る道東コース。
どちらも8泊9日のバス旅。旅行会社の社員は同乗しない。
バスなので運転手とバスガイドだけが、8泊9日一緒ということになる。
高校を出たばかりで、半年にも満たない者に50人ほどの旅行者を任せるとは課題とは言え
乱暴な話である。まあ、有名観光地をタダで回った上にバイト代まで貰えるというおいしい
話ではあるのだが・・・。観光客は大学生を中心とした20代が多い。それもそのはず、
リーズナブルな旅をするために旅行手段はバス。宿はユースホステルを利用といったもの。
自分は、道東コースにした。こちらの方が有名観光地が多いような気がしたからだ。
なかなか行けないのだから、たくさん見ておこうという気持ちだった。
しかし、自分は観光客ではない。その人たちの旅をスムーズに、かつ楽しませるのが仕事。
期待と不安を胸に、顔合わせ。旅行会社の人も来ていたが、レクチャーも何もなし。
楽しんでらっしゃいみたいな気楽な雰囲気で送り出してくれた。
一日目、早速大きな失敗をやらかした。それは、昼食の時間。
バスは予定通り昼食場所に到着。全員の人数確認し無事昼食を終わり、さて出発となった。
バスに乗り込むとバスガイドがいきなり「私たち、まだ食べてないんだけど・・・。」
「????」何の事。つまり、観光客の事ばかり考えていて、乗務員のことをすっかり
忘れていた。もう時間がない。平謝りでそこを出発。
しかし、初日からこれで機嫌を損ねてしまった。あと一週間も一緒なんだぞ・・どうすべえ。
謝ったものの腹も立ってきた。子供じゃないんだから、自分たちで何とかせえよ。
聞いてないよ~の世界。こういう旅行の場合、乗務員のことまで考えなければならない。
次の日からバスガイドがチクチク攻撃してきた。
ひとしきり案内した後、「じゃ、ここからは添乗員さんにマイクを渡しましょう」と
こちらに振ってきた。無芸大食。何をすればいいんだ。
当時はカラオケもないし、アカペラで歌うしかない。バスにあったみんなの歌集みたいな
小冊子を全員に配り、目的地まで必死に歌い続けた。
2日目、この日も問題が一つ発生。女性客が前の日の宿に忘れ物をしたというのだ。
それも次の目的地が近づいてきたときに気が付いたという。戻ることはできない。
さあ、どうする添乗員。携帯電話もない時代。公衆電話を使い、前日の宿に連絡をしたところ
確かに荷物はあるという。取りに行くことも、持ってきてもらうことも距離がありすぎて無理。
苦肉の策で2日後到着予定の宿に発送してくれるようにお願いした。それしかない。
女性客にもそれで納得させ一件落着。我ながら見事な機転。
その後も大きな事件事故はなかったものの、細々とした事が発生。
同じバスでの旅のため、隣が同じ人だと飽きるといったことや
知床では漁船を使って釣りを楽しませたのだが、全員同じ船に乗れず二手に分かれて
乗ることになった。自分が乗っている方は時間通りに帰ってきたが、もう一つの船が
帰ってこない。連絡を取って30分遅れで帰港。
これを見ていた男性客。「俺もあっちの船が良かった。」ガキか!
消灯後、次の日のバスの席順を決めるくじを作ったり、全員の安否、次の日の昼食場所や宿の
確認等々。気楽なバイト旅のつもりが大変な日々だった。
旅行はさせるより、する方が楽だなあと実感。何事も経験してみなければわからない。
何と言っても50人殆どが自分より年上。年下は、東京から来た女子高生二人だけ。
自分、当時18歳ですからねえ。よくやったもんですよ。今更ながら感心する。
それにしても、あの女子高生、二人とも可愛かったなあ。
当時流行っていた「プロポーズ大作戦」に呼ばれたらどうしようかなあ等と妄想したりして。
その二人とは2回ほど手紙のやり取りはしました。あとは何もなかったけど・・・。
これが、40数年前の夏の思い出。