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東京に行った話。 [エッセー]

今、東京で2回目のオリンピックが行われている。

コロナ禍で無観客やら様々な規制がかかり、今一つ盛り上がりに欠けているけど。


東京へは何度か行っている。それでも、10回には届かない。

高速道路が出来、新幹線が開通したとは言えやはり東京は遠い。

仕事でもなければ、まず行くことはない。


初めて行ったのは高校の修学旅行。寝台車で12時間ぐらいかかったと思う。

観光バスでちゃちゃっと回ったので、殆ど印象がない。まあ、40年以上前だから猶更。



その東京に初めて車で行った時の話。


あるイベントがあって、東京まで商品を運ぶという事になった。

何故か自分ともう一人同僚が選ばれた。送るには量が多いし、新幹線では運べない。

必然的に車でという事になるのだが、車で東京に行くのは勿論初めての事。

「東北自動車道から首都高速に入ったら、すぐだから」と上司。

おいおい、口では簡単に言うけど、行く方の事も考えろよ。

確かに東北自動車道は埼玉県の川口まで行けば、首都高速に繋がっているのはわかる。

その首都高速だよな、問題は。


ネットで首都高の地図を探し、プリントアウト。

B4の用紙を何枚か合わせて作ってみた。もう、地図を見ただけで複雑さがわかる。

一緒に行く同僚も、車で東京には行ったことがないという。

仕事だからしょうがない、覚悟を決めた。



いよいよ、出発の日。何かとゴタゴタがあって予定より3時間遅れた。

東北自動車道に乗ったのは、午後6時頃。イベントが始まるのは、明日の朝9時。

まあ、遅くても朝7時ごろまでに着けばいいかな。休憩挟んで、12時間もあれば余裕だろう。

と思ったのだが、第一のアクシデント。雪が降りだしてきたのだ。

そう、季節は冬。降り出した雪は、風を伴って視界を遮る。

思うようにスピードが出せない。雪は、岩手県を過ぎるまで降り続いた。

10時ごろ予定の仙台を過ぎたのが12時を回っていた。こりゃあ、いかん。

止まって仮眠をとる予定が、走りながら交代で寝るしかない。

川口に着いたのは、なんと午前5時。あと2時間しかない。

同僚に手作りの地図を渡し、恐る恐る首都高速に入った。


首都高速に入って、すぐ違和感に気が付いた。

道の分岐が左右にある事。今までは左側からしか降りたり、乗ったりしかできないのに

ここでは左から入ったり、右から降りたりと余程気を付けていないと、とんでもないところで

降りてしまうはめになる。それに、朝のラッシュにかかり、車の多い事。

こちらの車のナンバーを見て、バンバン追い越していく。

「田舎もんだと思いやがって」と叫びながら、標識とにらめっこしながら目的地まで走る。

と、ここで第二のアクシデント。なんと、事故渋滞に巻き込まれてしまった。

「何で事故るんだよ、この忙しい時に」とここでもジリジリしながら走っていると

上司からの電話。「もう着いたか?」「いや、まだ首都高速です」「何やってんだよ!」

「色々あって」「間に合うのか?」「何とか」


時計を見たら、もうすぐ8時。こりゃ、やばい。と言っても待つしかない。

それでも、会場には10分前に到着。現場のみんなでバタバタと搬入。

本当にギリギリで開場に間に合った。


あれから何回か車で東京に行ったが、やっぱり電車でのんびりの方がいいね。


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添乗員のバイトをやってみたら。 [エッセー]

家の事情で大学には行けず、それでも高卒じゃなんとなく嫌だなあというので専門学校に

1年通った。何の専門かというと観光を仕事にしたい人たちのための学校。

要するに旅行添乗員とかキャビンアテンダント(当時はスチュワーデス)になりたいという人の

学校。1年ぐらいでなかなか希望の職種に就くことができるものか眉唾であったが、募集パンフ

には就職率100%などと謳われていた。


場所は、札幌。何故、東京じゃなく札幌なのか。

東京はなんとなく遠いし、人口が多すぎる。それに別に憧れてもいなかった。

父親が北海道に出稼ぎに行っていたというのも理由のひとつだった。


その専門学校の観光科というところで学び始めたのだが、夏休み期間を利用して課題が

与えられた。それが、添乗員のアルバイト。観光科全員に与えられる課題。

要は札幌にある旅行会社と提携して、北海道を訪れる観光客の添乗をするもの。

コースは2つ。稚内や利尻・礼文を回る道北コースと知床・根室を回る道東コース。

どちらも8泊9日のバス旅。旅行会社の社員は同乗しない。

バスなので運転手とバスガイドだけが、8泊9日一緒ということになる。

高校を出たばかりで、半年にも満たない者に50人ほどの旅行者を任せるとは課題とは言え

乱暴な話である。まあ、有名観光地をタダで回った上にバイト代まで貰えるというおいしい

話ではあるのだが・・・。観光客は大学生を中心とした20代が多い。それもそのはず、

リーズナブルな旅をするために旅行手段はバス。宿はユースホステルを利用といったもの。


自分は、道東コースにした。こちらの方が有名観光地が多いような気がしたからだ。

なかなか行けないのだから、たくさん見ておこうという気持ちだった。

しかし、自分は観光客ではない。その人たちの旅をスムーズに、かつ楽しませるのが仕事。

期待と不安を胸に、顔合わせ。旅行会社の人も来ていたが、レクチャーも何もなし。

楽しんでらっしゃいみたいな気楽な雰囲気で送り出してくれた。


一日目、早速大きな失敗をやらかした。それは、昼食の時間。

バスは予定通り昼食場所に到着。全員の人数確認し無事昼食を終わり、さて出発となった。

バスに乗り込むとバスガイドがいきなり「私たち、まだ食べてないんだけど・・・。」

「????」何の事。つまり、観光客の事ばかり考えていて、乗務員のことをすっかり

忘れていた。もう時間がない。平謝りでそこを出発。

しかし、初日からこれで機嫌を損ねてしまった。あと一週間も一緒なんだぞ・・どうすべえ。


謝ったものの腹も立ってきた。子供じゃないんだから、自分たちで何とかせえよ。

聞いてないよ~の世界。こういう旅行の場合、乗務員のことまで考えなければならない。


次の日からバスガイドがチクチク攻撃してきた。

ひとしきり案内した後、「じゃ、ここからは添乗員さんにマイクを渡しましょう」と

こちらに振ってきた。無芸大食。何をすればいいんだ。

当時はカラオケもないし、アカペラで歌うしかない。バスにあったみんなの歌集みたいな

小冊子を全員に配り、目的地まで必死に歌い続けた。


2日目、この日も問題が一つ発生。女性客が前の日の宿に忘れ物をしたというのだ。

それも次の目的地が近づいてきたときに気が付いたという。戻ることはできない。


さあ、どうする添乗員。携帯電話もない時代。公衆電話を使い、前日の宿に連絡をしたところ

確かに荷物はあるという。取りに行くことも、持ってきてもらうことも距離がありすぎて無理。

苦肉の策で2日後到着予定の宿に発送してくれるようにお願いした。それしかない。

女性客にもそれで納得させ一件落着。我ながら見事な機転。


その後も大きな事件事故はなかったものの、細々とした事が発生。

同じバスでの旅のため、隣が同じ人だと飽きるといったことや

知床では漁船を使って釣りを楽しませたのだが、全員同じ船に乗れず二手に分かれて

乗ることになった。自分が乗っている方は時間通りに帰ってきたが、もう一つの船が

帰ってこない。連絡を取って30分遅れで帰港。

これを見ていた男性客。「俺もあっちの船が良かった。」ガキか!


消灯後、次の日のバスの席順を決めるくじを作ったり、全員の安否、次の日の昼食場所や宿の

確認等々。気楽なバイト旅のつもりが大変な日々だった。


旅行はさせるより、する方が楽だなあと実感。何事も経験してみなければわからない。

何と言っても50人殆どが自分より年上。年下は、東京から来た女子高生二人だけ。

自分、当時18歳ですからねえ。よくやったもんですよ。今更ながら感心する。


それにしても、あの女子高生、二人とも可愛かったなあ。

当時流行っていた「プロポーズ大作戦」に呼ばれたらどうしようかなあ等と妄想したりして。

その二人とは2回ほど手紙のやり取りはしました。あとは何もなかったけど・・・。


これが、40数年前の夏の思い出。


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